Ryuji Moriyama

 

 1980's  1990's 2000's 2010's artist statement  news  text  mail blog   map  profile

「正面性の現実感」 早見 堯

森山龍爾は、1985年からほぼ10年間、着彩した紙を切って画面に貼りつけるペーパー・カット・アウトの手法で制作してきた。森山のカット・アウトはマチスに由来している。マチスのそれは、形体を描くドゥローイングのプロセスと、着彩するペインティングのプロセスとを一つにしようとするものだっだ。森山のカット・アウトも基本的には同じだ。


 着彩されてカット・アウトされた矩形と円形の形体/色彩が画面上に配置される。ある時期から、多用される構図はおおむね決まってきている。画面の上部に水平のフリーズ状の帯が配置され、その下に主要な大きな二つの矩形が配置されている。

この構図は二つの機能を果たしている。一つは、風景画を想いおこすとわかるように、遠くを連想させる画面の上部を手前に引き出し画面全体を平面化している。もう一つは、上を重くして画面を揺れ動かしている。
 

これらのモチーフは上下に重なりあったり、ずれたりしながら、画面の中をゆるやかに浮遊している。カット・アウトの方法を使うようになった最初の頃は、この浮遊感は中央に向かって、あるいは中央から螺旋状に展開するような動きの感じがあった。

それは、画面の「地」とモチーフの「図」とが分離しがちなカット・アウトの方法を補って、「地」と「図」との結びつきを自在に調整する方法でもあったようだ。近年は、そうした動きは整理され、より微妙な動きになっている。

 色彩は近似した色相が隣接して配置され、全体としては反対の色相の対比となっている。だから、色彩は融和して安定していながら、強い色彩感を生み出している。
 

すべてのモチーフは画面の平面に平行して配置されている。正面性ということだ。見る者と正面から向かいあうかたちになる。

たとえば、ビザンチン美術の聖堂の壁画はどれもすべて正面性だ。イエスや聖者は、あたかも見る者と地続きの世界にいるかのように、聖堂を訪れた信者と正面から向かいあう。

絵画がこうした正面性を失って、見る者とは別な虚構の世界として自閉して自律的な絵画になるのが近代である。ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」のじっと見る者を凝視する娘たちは、ビザンチン美術風な正面性をとりこんでいる。20世紀の抽象絵画は単に平面化しただけなのではなく、こうした正面性こそが重要な問題だった。正面性は、絵画を虚構の世界から切り離し、見る者を同じ現実の世界に位置させる重要な要素である。


 森山の絵画が見る者を引き込む現実感をもっているのは、見る者と作品とが地続きだと感じさせる徹底した正面性のためだ。抽象絵画は、ここからさらなる現実感を求めて、正面性を捨てて文字通りの現実的な事物に展開した場合もあった。森山はそうではない。正面性や形体/色彩が森山の絵画の重要な言語だからだ。


 カット・アウトの時期の絵画では、色むらがあったりフラットだったりする塗りの変化は、ハードな形体の輪郭を補う役割をもっていた。4、5年前からカット・アウトによらない描くことにもどっている。ここでは、上部のフリーズ状の帯、主要な二つの矩形とモチーフは絞られて、それらに重なりあって微妙な矩形が見えかくれしている。「地」と「図」はより融和して、形体と色彩とがむすびついた描くことの表現性が現れてきている。正面性はここでも重要な役割を果たしている。

 絵画を事物にしないで、絵画を現実化しているのが森山龍爾の絵画である。
                         

(はやみ たかし 美術評論家)

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